【釈迦初転法輪像】
カウンセラー講座の模擬カウンセリング実技をしてきました。 同じグループの中で、あまり接した事が無い人が 相手(患者・クライアント役)だったからかも知れませんが、 僕自身が凄い緊張してしまいまして。 カウンセリング実技でカウンセラー役をしている時。 自分が何を言って良いのか分からない、不安定な感じ。 自分じゃない誰かが無理やり喋ってるような不自由さ。 素直に自分の言葉を表現しきれないもどかしさ。 必死にカウンセリングしようとすればするほど、 あり地獄に陥ってしまうような違和感。 15分間、そんな感覚をず~っと感じてまして。 めっちゃ肩凝りました(笑) 同時に、今迄あんまり自分の感情を 感じたまま素直に口にして無かったなぁ、と。 何かオブラートに包もう、包もうとして、 自分で伝わらないようにしてしまってたのか!と。 実技としては完璧な「失敗例」でしたが、 失うどころか、得る事ありまくりですよ。 あぁ、自分はこんなに自分の意見を 素直に言う事を恐れる人だったのか、と。 そして素直に伝える事にこんなに不慣れなのか、と。 なので、その辺。 伝えていきます。 って、もうこのブログでは十分すぎるほど、 素直に自分の気持ち書いてますけどね(笑) 何故それを日常で出来ん。 写真は、奈良・喜光寺のお釈迦様の石像。 お釈迦様が悟った心境を、 初めてお弟子さん達に伝えた時のお姿だそうです。 よ~く見てみると、 御釈迦さん、うっすらと笑ってるんですよ。 優しく暖かく。 「どれ、どうやって伝えてみるかな?」みたいな。 余裕すら感じました。 #
by keisukerudolf
| 2010-06-27 22:19
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【陸橋から本堂を臨む/喜光寺】
喜光寺の目の前は阪奈道路。 車の往来が激しい為、交差点では無く陸橋がある。 その陸橋から、喜光寺を俯瞰出来てしまう。 喜光寺の醍醐味が「試みの大仏殿」と呼ばれるの本堂の外観 (行基がこの本堂をモデルに東大寺の大仏殿を作ったと言われる) であるとするならば。 陸橋から眺めるだけで「はい、終了」かもしれない。 事実、私はこの光景を見てしまったが為に、 「拝観料500円要るんよな・・・」と思ってしまって、 拝観するのを少し躊躇ったのです。 実際はちゃんと500円払って拝観したのですが。 むしろ払って拝観してみると、 それ以上のものを感じられたのが不思議。 喜光寺の本堂の奥に庫裏があります。 最近改修したのだとか。 その庫裏には、お釈迦様が祀られていて、 周りを沢山の仏様が囲んでらっしゃいました。 寺の方に聞くと、 「最近、身寄りの無い方が亡くなられると、 お墓を立てられないケースが増えてきていて、 立てても誰も見舞ってもらえないケースが増えている。 そういう方がここに仏様としていらっしゃって、 全国の善男善女の方がお参りする事で満足だ、という 方に向けての場所を作っているのだ」と。 その話を聞いて、改めてお釈迦様と仏様の姿を見ると おいそれと失礼するのもどうかな、と思い、 「善男ではありませんが、頂いたご縁を大切にします」と お祈りしてきました。 私の中で、喜光寺の開祖である行基さんと 喜光寺が今やろうとしている事とが繋がりました。 奈良時代の仏教は、どちらかというと 位の高い人の為の仏教。 お寺はお坊様の修行の場でありました。 だから、有名な奈良のお寺って、お墓が無いんです。 つまり檀家も持たないんです。 そんな時代に、一般民衆と向かい合ったお坊様が行基さん。 一般の方々を救う為に集会を開いて、 その度に沢山の人が集まる訳ですから。 朝廷からは「こいつ危ない」と扱われる始末。 それくらい一般の支持を得たお坊様だったんですね。 本当にこの国を支えているのは、誰なのか。 本当に救わなければならないのは、誰なのか。 喜光寺は今の時代で、一つの決意をしたのだ。 私はそう感じました。 その決意のコンセプトが、 開祖である行基さんと同じというのは 当然なのかも知れませんが、 それを実行する行動力が凄い。 産業カウンセラーを志す私にとって 何か「目から鱗」的なものを感じ取った訳です。 産業カウンセラーが本当に救わなければならないのは、 一体誰なのか。 なので、昨日の内容に繋がるんです。 勿論、喜光寺だけで満足している場合ではない、 という事にも気付いています。 でも、一つの事実と真実を知る事が どれだけありがたい事か。 ご住職の方とじっくり話しがしたいなぁ、と 痛感した一日でした。 #
by keisukerudolf
| 2010-06-17 23:29
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【試みの大仏殿~奈良・喜光寺~】
極論の結論から言ってしまうと、 喜光寺は100年後、人々の記憶から 忘れ去られているお寺かも知れない。 喜光寺。 東大寺大仏殿を知る人は多くとも、 薬師寺の存在を知る人は多々いれど、 喜光寺を知る人は、そんなに多くは無い、 と思う。 喜光寺の本堂が、東大寺大仏殿のモデルになっている事実も、 喜光寺が薬師寺の別格本山とされている事実も、 遷都1300年を迎える今年になっても それを知る人は、そう多くは無いだろう、 と思う。 何故なら、私も知らなかったから。 「蓮の古刹」として話は聞いていて、 実は昔仕事で喜光寺の前の道(阪奈道路)を 嫌と言うくらい通っていたのに、 不思議なくらい、喜光寺の事を知らなかった。 むしろ存在を知らなかった。 またいずれ、この寺については ご縁があれば詳しく触れたいと思っています。 単に「蓮の寺」と認識するだけでは 勿体無さ過ぎるお寺です。 仮に、喜光寺が人々から忘れられてしまったなら、 私は奈良県民として、日本人として、 とても「悲しい出来事」だと感じました。 一つ、私のどうでもいい決意を。 「奈良に生きる『写心家』」としてありたいなぁ、と。 産業カウンセラーとして、写真家として、 奈良を、 心「で」、心「に」、心「を」、心「は」映す。 そして、自分に出来る事は、 どれだけ真実に正しく、後世に伝える事が出来るか、 伝える努力をしたか、なのだと感じています。 時間がある時に、 その辺は丁寧に触れたいと思いますが、 今はあまりに時間が無くて。 とりあえず、プロローグ的に。 私を「写心家」として決意を促して頂いた 喜光寺とのご縁に感謝。 日々是好日。 #
by keisukerudolf
| 2010-06-16 22:32
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【笹百合・大神神社】
仏教用語にもある「盛者必衰」。 平家物語の冒頭に出てくるので、有名な言葉ですね。 日常は常に変化する無常な世の中では、 一見当たり前に見えるものですら、 時代と共に変わったり、なくなってしまったり。 「失う事は、得る事だ」と知っていても、 失う事へのショックは勿論の事、 得る事への不安だってある。 そもそも「守られている」という安全感が無いと、 変わる事が出来ないんですから。 だからこそ、余計に 「あぁ、ここなら安全だ」って思える 場所だったり、人だったり、 ものだったりするのですが、 そういうのを感じられれば、 安定もするし、変化も出来るのですね。 そして、必死に生きていればこそ 案外誰かがそれを見ていて、 助けの手を差し出してくれる時は 必ずあるんだなぁ、とちょい痛感。 写真は大神神社境内に咲く笹百合。 かつて大神神社がヤマト朝廷の中心だった頃、 それは相当古い時代の事ですが、 神社周辺はこの季節になれば、 写真のような笹百合が一面に咲き誇っていたそうです。 そして大神神社の摂社である、 奈良にある「率川(いさかわ)神社」に 笹百合で飾った酒樽が奉納されていたのです。 6月16日の三枝祭(率川神社)は、 大神神社と奈良の強いつながりを暗示しています。 ところが、環境の変化に伴い 笹百合は絶滅の危機に瀕します。 三枝祭に笹百合を供給する事すら おぼつかなる状況にまで陥ったそうです。 状況を案じた大神神社の有志の方々が 15年前に笹百合の栽培・定植を進め、 今や「ささゆり園」と呼ばれる 笹百合を拝観出来る(しかも無料!)場所が出来ます。 今でも周りを柵で保護されていたり 相当な厳重警戒の元にあるのですが、 昔の姿を取り戻そうとしています。 守られ、引き継がれていこうとされている 日本の、奈良の姿がそこにあります。 #
by keisukerudolf
| 2010-06-14 20:42
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【蓮、二輪】
今日、心療内科の定期健診で ドクターが「この言葉の続き、何やと思う?」と 前置きして、投げ掛けた言葉が タイトルの文章。 産業カウンセラーの立場で考えると、 困難は、解決するのではなく 「成長を助ける気付き」なんです。 辛い事から逃げ出したくなる事もありますが、 結局、回り回ってまたその辛い事は 繰り返しやって来るんですよね。 えぇ、過去に逃げ回ってたばっかりに、 今そのツケが回ってきているんです(笑)。 結局、色んなミスをしながら、 「あぁ、こういう時はこうやったらアカンねんな」と 気付かされながら、 少しずつ大人になる・・・何かニュアンスちゃうなぁ。 言い古された表現で言うところの 「成長」していく、とでも言いましょうか。 ドクター曰く「そうやとしたら、失敗って無いよね」。 失って敗けると書いて、失敗。 でも、失敗して気付けるのであれば、 失うのでは無く、「得ている」のであり、 そう考えると、失う前に「失敗」を与えられている。 究極のプラス思考ではありますが。 写真は、半年振りに訪れた依水園の蓮。 去年初めて依水園を訪れた時もこの時期で、 この睡蓮に感動したのを覚えています。 その感動が忘れられなくて、 今年も依水園を訪れました。 決して裏切る訳でなく、でも私が望むからでもなく、 睡蓮は今年も変わらず咲いていたようです。 移ろいが常のこの世にありながら、 変わらない事がどれだけ貴重で且つ美しいか。 あ、タイトルの正解ですが、 「感動するもの」だそうです。 #
by keisukerudolf
| 2010-06-11 20:32
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