明日香への道のりと仏教伝来と善光寺

どうやらちょっとだけ体調を崩したようです。
昨日マフラーもせずに山にのぼり、
帰りの電車にやたら咳をするご婦人がいたので
やられちまったようです。
一日寝たら随分マシになりました。



さて、畝傍山から歩いて明日香村です。
徒歩で1時間弱。
歩道が整備されている場所ばかりではありませんが、
のんびり歩くにはちょうど良い感じでした。



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【剣池と多武峰連峰】
PENTAX K20D
Distagon T* 28mmF2
焦点距離28mm
WB太陽光
1/200sec
F4.0
露出補正 -0.7
ISO感度100




古くは万葉集の詩にも読まれた剣池。
近鉄橿原神宮前駅から明日香村に行く
丁度途中にあります。

古代からあるかんがい用の池だそうです。



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【豊浦寺(宮)跡】
PENTAX K20D
Distagon T* 28mmF2
焦点距離28mm
WB太陽光
1/80sec
F4.0
露出補正 -1.0
ISO感度100




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【寺跡となんばが池】
PENTAX K20D
Distagon T* 28mmF2
焦点距離28mm
WB太陽光
1/80sec
F4.0
露出補正 0.7
ISO感度100




何の事かさっぱり分からない方もいると思いますが、
落語で「ご血脈」を知っている方だとピンと来るかも。

豊浦寺は日本で最初に立てられた
お寺だと言われております。
百済の聖明王が552年に金銅の釈迦仏を
朝廷に献上したと記録されてます。
その釈迦仏が最初に上陸したのが、
先日私が行った初瀬川の海石榴市付近だそうで。
写真と歴史が直結しました(笑)




さて、百済より来たこの仏像。
これを宮中で祀るかどうかで大論争があったそうで。

「大陸より頂戴した偉大なる文化は奉るべき」と
歓迎ムードの蘇我稲目。
蘇我氏は元々渡来人との説もあり、
又多くの渡来人を味方につけていた事から、
仏教伝来は大歓迎。

それに対して物部尾輿、中臣鎌子は
大の大の大反対。
「この国には古くからいる神様がいるんだ、
 異国の神様なんぞ祀っちゃいられねぇ」
と大層な剣幕ムード。

当時の大王、欽明天皇は蘇我稲目の意見を取り入れ
稲目に金銅の釈迦仏を預け、稲目は自宅に飾ります。
その自宅が向原にある豊浦寺だったと言われています。



ところが。



この後疫病が大流行。

「仏教なんか異国の神様拝んでるから
 神様がお怒りになったんじゃー!」

と世論が逆転。
仏教反対派のリーダー物部さんが
釈迦仏をなんばが池に捨てて
豊浦寺を焼き払ったと言います。



当時のヤマト王朝の力関係の縮図とも言われます。
土着傾向の強い物部氏や中臣氏 VS 渡来系の蘇我氏。



その捨てられた釈迦仏を本田善光が拾い上げ、
(推古天皇が本田善光に命令したといわれています)
信州に建てたのが、あの有名な
「丑に引かれて善光寺」なのです。


尚、当時の信州にも多くの百済系渡来人が
定着していたと言われており、
元の鞘に収まったというべきなのかも知れません。



とWikipediaと落語のテキストを拾い捲って
ブログにしたててみました(笑)

明日香村自体、歴史がギュウギュウに詰まった場所ですが、
一つ一つ拾い起こして見ていると、
小さい祠ですら軽視できない訳です。

それを写真に収めようと思いましたが、
中々どうして骨が折れます。
なんばが池のすぐ横に
車が数台止まっていたので、
写真にそれを収めるとおかしくなるし。

明日は甘樫の丘から一巳の変(大化の改新)を
レポートしたいと思います。
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by keisukerudolf | 2009-01-07 21:15 | PENTAX K20D
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