本当にこれで良いのか?

【試みの大仏殿~奈良・喜光寺~】
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極論の結論から言ってしまうと、
喜光寺は100年後、人々の記憶から
忘れ去られているお寺かも知れない。



喜光寺。


東大寺大仏殿を知る人は多くとも、
薬師寺の存在を知る人は多々いれど、
喜光寺を知る人は、そんなに多くは無い、
と思う。


喜光寺の本堂が、東大寺大仏殿のモデルになっている事実も、
喜光寺が薬師寺の別格本山とされている事実も、
遷都1300年を迎える今年になっても
それを知る人は、そう多くは無いだろう、
と思う。


何故なら、私も知らなかったから。


「蓮の古刹」として話は聞いていて、
実は昔仕事で喜光寺の前の道(阪奈道路)を
嫌と言うくらい通っていたのに、
不思議なくらい、喜光寺の事を知らなかった。
むしろ存在を知らなかった。


またいずれ、この寺については
ご縁があれば詳しく触れたいと思っています。


単に「蓮の寺」と認識するだけでは
勿体無さ過ぎるお寺です。


仮に、喜光寺が人々から忘れられてしまったなら、
私は奈良県民として、日本人として、
とても「悲しい出来事」だと感じました。


一つ、私のどうでもいい決意を。


「奈良に生きる『写心家』」としてありたいなぁ、と。


産業カウンセラーとして、写真家として、
奈良を、
心「で」、心「に」、心「を」、心「は」映す。


そして、自分に出来る事は、
どれだけ真実に正しく、後世に伝える事が出来るか、
伝える努力をしたか、なのだと感じています。


時間がある時に、
その辺は丁寧に触れたいと思いますが、
今はあまりに時間が無くて。
とりあえず、プロローグ的に。


私を「写心家」として決意を促して頂いた
喜光寺とのご縁に感謝。
日々是好日。
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by keisukerudolf | 2010-06-16 22:32 | PENTAX K20D
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