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奈良が見せた意地

【雨の中上がった、なら瑠璃絵初日の花火】
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今日のセルフカウンセリングノートより。


「安易に『ごめんなさい』という事で、その責任から逃れようとするな。
 謝る前に考える事や判断すべき事は山ほどあるはずだ。」


時々、もう一人の自分が凄い鋭い刃を向けて
私に襲い掛かってきます。


今迄はそんなもう一人の自分を直視出来なかったのですが、
セルフカウンセリングをするとなると、
こいつと思いっきりやりあわなければならない時があります。
本当に真剣で勝負してるんじゃないかというくらい。


ぶっちゃけしんどくて仕方ありません。
でも、逃げる訳にもいきません。
こいつから逃げると、後で物凄い後悔の念に駆られるのです。


しんどくても辛くても、こいつが真剣むき出して襲い掛かって来た時は、
こっちも真剣取り出して太刀を合わせないと、
こっちが一方的にやられてしまって、
挙句の果てに力尽きてしまいます。
これが私のうつ病のメカニズムでした。


残念ながら今の私には、もう一人の私を博愛するほど出来た人間性も無ければ、
一喝出来るほどの強さもありません。
只出来る事は、真正面からぶつかって、
こいつの剣先から迫り来る殺気の裏側にあるメッセージを
何とかして読み取る事です。


曰く「うつ病だから」と言い訳をしている時点で、
不器用ながら懸命に生きていく事と相反するのだそうだ。
自分本位で楽な逃げ道を用意している。
言い訳で利用している「うつ病」そのものは、
認知療法を導入する事で、ドクターからも
驚異的な回復を見せているとお墨付きなのだ。


それを葵の紋所宜しく振りかざす事は、
自己成長の妨げ以外の何者にもならない。


もう一人の私がそう仰っています。
分からんでもない。


おかげで、ここ連日はこやつと終日真剣勝負を繰り返しそうです。
でも、その先に必ず答えが待っている気がします。
いや、今既に何となく答えが見えてきています。
「他の誰でもない、何でもない、まほろばの旅人一個人として、
 目の前の苦しさや辛さから逃げるな」というメッセージを。


これが因果でどのような手段をとって、
それが原因でどんな事が起こるか分かりませんが、
逃げる事だけはしたくないなぁと思います。
ミスらないと気付けない事が多すぎるのです。
無難に生きていると、致命的なミスですら見落とすからです。



さて、写真は今日から始まったなら瑠璃絵からの一枚。
今日は夕方から奈良地方は結構な雨。
さすがに東大寺浮雲園地を訪れた時(午後5時半)には
「これじゃぁ花火は上がらんやろう」と高を括って
花火を撮る為のロケーションではなく、別アングルで写真を撮っていたのですが、
突如背後から爆音が。


花火が上がってる!!!


雨煙に遮られて、花火そのものもはっきりと見えないですし、
急にカメラをセッティングしたので、露出とかも全く考えなく
とにかく過去の経験則から絞り値・シャッタースピードを計算して
ベストエフォートは尽くしました。


それより脱帽だったのが、
この悪天候という状況下で、なら瑠璃絵を成功させる為にと、
あえて花火を打ち上げる決断をした実行委員会の方々と、
決断を受けたならどんなことがあっても夜空に花を咲かせるという
花火職人達の意地のぶつかり合い。


雨煙る状態だったのに加えて、風で花開いた花火もすぐ流される状態でしたが、
それでも最後は連射連射。
その花火が上がっている姿を見ただけでも
「今回は本気でやってるぞ」ってのが伝わってきます。
きっとこれから10年100年と歴史が続く中で、
奈良の観光行事の伝説として語り継がれる事でしょう。


関係者の皆様の決断と実行力に頭が下がる思いで一杯で、
たとえ鮮明に花火が見れなくても
「うんうん、それでいい」と涙目で見ていた私が居ました。
by keisukerudolf | 2010-02-11 23:35 | PENTAX K20D
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