幸せの入り口

【秋篠寺のアプローチ】
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今日はいつにも増して哲学的なタイトルだ事で。
っても私本人の目の前に何か幸せがあったかと言われれば、全くそういうのは無く
いつも通りに浮き沈みの激しい日々を過ごしているのですが。


今日、セルフカウンセリングをしていた時に、ふと気付いたのです。
「あぁ、私は今幸せの入り口に立っているんだな」と。


私がうつ病を発症する前から、
きっと私は幸せになる事を願っていた事には変わりありません。
でもうつ病を発症し己と向き合っていくうちに、
それまで抱いていた幸せは「自分の身の丈で無い」と思うようになりました。


何故、身の丈で無いと思ったのかと言うと、
その幸せをかなえる為に必要な、数々の要素。
収入であったり、社会的な地位であったり、
今思うと取るに足りない事ではあるのですが。
そういうものを私は致命的に持ち合わせておらず、
これからもあまり期待出来なかろうな、と思ったからです。


それから再就職したり、その後うつを再発させたり。
社員である事を諦めて、フリーターとして糊口を凌ぎながら
自分と向き合う時間が出来たおかげで、
多分、自分が本当に目指すべき道や
あるべき姿がぼんやりと見えてきたのかも知れません。


うつ病発症、再就職そして再発のそれまで、
何度も辛く悔しい想いをしてきました。
きっとそれは「いい加減に目を覚ませ」と
メッセージを受けていたのかも知れません。


不器用でも良いから、ドンくさくても良いから、
ミスしながら、ミスを振り返りながら
ミスの裏側にあるメッセージを受け容れながら、
真っ直ぐ生きていけば良いんじゃないかな。
そう思っているところです。


きっとうつを再発する前も真剣に幸せを願っていた筈で、
そして再発してからも、真剣に幸せを願っていたからこそ、
形は違うかもしれないけれども、
納得の行く道が見えてきた。
そんな感じでしょうか。


こんなに色んなものを失わなきゃ気付けなかったのか。
勿論これからも色んなものを失うかも知れないけれども。
でも、それで気付ければ結果オーライなのだ、と。


あくまで「入り口」ってのが味噌で。
道を誤れば幸せではない方向に行く可能性だってありますし、
今の道が決して「正しい」と証明されているものでもなく。
でも、何となく入り口じゃないかな?って感じはしているのは確かで。


何も出来ずに泣きべそかいていた自分が、
少しだけ泣かないようにいられるだけでも
昔から考えると産業革命レベルだと思います。


さて、写真は佐保路の古刹、秋篠寺のアプローチ。
去年の秋、雨降りしきる中、似た構図で写真を撮りました。
昨日は非常に天気が良く、日差しもガンガン入ってきていたのですが、
日差しがある時よりも、一瞬日が翳る方が
写真としては非常に安定するように自分で思います。


それにしてもこの景色は、杜フェチの私がいつ見ても癒される景色です。
杜の緑と砂利道しかない風景なんですけどね。
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by keisukerudolf | 2010-02-06 20:41 | PENTAX K20D
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