心の乱気流

【山焼き前の花火】
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【On fire】
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惜しげもなく若草山の山焼きの写真を大盤振る舞い。



うつ病を「心の風邪」と例える事があります。
ならば、躁鬱(そううつ)状態は「心の乱気流」とでも言いましょうか。


そう状態に陥ってしまった時に見受けられる症状に
・万能感が出る(自分で何でも出来てしまう、と思う)
・不眠でも働ける(テンションが上がりすぎて眠らなくても能力を発揮出来る状態)
・攻撃性が強まる(第三者を罵倒したりする)
・被害妄想が膨らむ
・幻聴が聞こえる
・気が大きくなりすぎる(無駄な買い物が増える)  など。


これらを発症すると、待ち受けている「うつ転」。


いわゆる心のアップダウンが激しくなる状態が「躁鬱」と呼ばれる症状です。
勿論普通の人でも感情の波はあります。
通常の場合、その感情の波が+-1程度だとすると、
躁鬱状態だと、人によりけりですが+-10まで幅が広がります。


セルフカウンセリングを続けながら自己観察していると、
まだ上記の症状の全てが出ているとは思わないのですが、
「少し思い当たる節が・・・」というのはあります。


残念ながらこれらが「無意識」で出てしまうのです。
なるほど、厄介だ。


ここから先は、少しディープなので規制を掛けます。
読みたい人だけ、自己責任で「私が自分に突き付けた真剣」をクリックして下さい。





クリックしてしまいましたね。
ようこそ、ディープな世界へ(笑)


あ、まだ間に合いますので、戻るボタンを押してもまだ大丈夫ですよ。


セルフカウンセリングを始めて、もう半年が過ぎようとしていますが、
自分自身、一つの分かれ道にまで辿り着いたのではないかと気付いています。


その分かれ道とは何か。
「いい加減、今の自分を認めろ」


ここまで自分のうつと向き合い、言葉にしてきましたが、
やはり自分自身が本当にうつと向き合っているかと言われれば
自信が持てないのも現状としてありました。


今の自分とは何か。
即ち「『自分の存在を認めて欲しい』という気持ちで泣きじゃくっている赤ん坊と同じ自分」。


あ、まだ間に合いますよ(笑)




以下、セルフカウンセリングノートから抜粋します。


「今一つだけ分かる事は、
自分自身に向けて真剣を突き付けている事だ。
私は所詮『自分の存在を包み込んで受け容れてくれる事を望み、
泣き叫んでいる子供』と一緒だ。
その自我レベルが上がらない限り、
己のうつからは解放されないのだろうか。


金銭的存在意義(お客様だから)とか、
業務遂行的存在意義(バイト・社員だから)とか
そういう存在意義ではなく、
様々な感情を有する一個人として、
私を受け容れてもらう事を望んではならないのだろうか?
無論、望む限りは己も他人にそう接するという事を大前提として。


否、正解は無い。
その現実を受け容れる覚悟が己にあり、
それでも尚『己は幸せだ』と思えるならそれで良い。
第三者ではなく、一人称の私が下す判断だからだ。


きっと、この苦しみは
『己にその道を歩む覚悟があるか』
『例えその道が辛くとも、愚痴らずに前を向いて歩いていく覚悟があるか』
『例えその道を選ぶ事で、多くを失っても後悔しないか』と
自分自身への問い掛けだ。


己に選択を迫っているのは間違いない。
半端だから迷う。半端だから惑う。
意を決するなら今で、それを諦めるのも可能で、
但し逃げてもいずれ又辿り着く袋小路にいて、
今必然に己に改めて現実を突き付ける事で、
己の覚悟を問うているのだ。


良い人であるな。それは私ではない。
心に闇を抱え、それでも生きる宿命を与えられた私に現実を
見せて、叩き付けて、覚悟を求めているのだ。


後戻り出来ない場所まで来た、そう気付かせているのかもしれない。
自分が自分らしくある為の一つの大きな岐路まで辿り着いたのだ。


後はじっくり意を決し、今迄の己に決別し、
新しい己として、道を信じ歩めば良いのだ。
今決する必要は無いが、遠からぬ先にそうなる事を
きっと気付かせてくれているのだ、と。」


セルフカウンセリングをしている瞬間に
そう状態になり、一気にうつ状態にまで行っている事を知る事。
それが一番苦しいのです。
見なければ良かったと思う事も多々あります。


でも、気付かないと前に進めないのです。
34歳にして赤ん坊のように泣きじゃくっている自分を認めない限り、
いつまで経っても、いつまでセルフカウンセリングしても、
それは単なる自己満足に過ぎず、
自我の成長に繋がらないのだと思います。


きっと、ここに書いてあるように「意を決した」ならば、
残念ながら、顕著に躁鬱を繰り返す日々が始まるでしょう。
ブログが当分更新されていなかった場合、
それは私が入院している事を意味します。


でも、それは決して後ろに進んでいるのではなく、
新しく私が生まれ変わる為に前に進んでいる証なんだ、と。
私はそう信じたい。
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by keisukerudolf | 2010-01-23 23:36 | PENTAX K20D
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