それは新しく、懐かしく

【新春古都の夕暮れ】
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久しぶりにこれまで一ヶ月分の自分のセルフカウンセリングノートを見直しまして。
勿論、年末年始に精神的に落ち込んでいた時のメモも見ましたし、
落ち込む前の自分の心境にも出会いました。


変わっていない事は、
・丁寧過ぎる字とは裏腹な本音120%ストレートな文言。
・「自分の存在を認めて欲しい」と泣いている赤ん坊と同レベルな本心
・現代社会を生きるには、少し規格外の感性


変わった事は、
・具体的な目標が出来た事(段取りスキルアップ・産業カウンセラーなど)
・体調や精神の分析がより客観的になった
・「継続観察が必要」と継続しようとする意思が芽生えた事。
・本当に真剣に自分と向かい合って、自分を変える意思が芽生えている事。
・自分に対して凄くシビアになっている事。


タリーズのフェローさんが近くを通る時は、
広げている手帳を隠してしまう癖があるのですが(笑)、
素の私を知らない第三者がこの手帳を見てしまったなら・・・


間違いなくドン引きします。これは断言します。
このブログに来て頂いている方々も、9割の方はドン引きするでしょうね。
さぁ、残りの1割に残るのは誰だ?


このブログの目的がそんな目的なら絶対嫌だ(笑)


時々無性に昔の自分に出会いたくて、1年前とかのブログの記事を見直してます。
そこには、表現方法さえ違うものの、明らかに「私」がいます。
文章の書き方一つ、写真からにじみ出る感情一つ、
どれをとっても「その当時の自分」に逢えます。


でも、そんな自分が懐かしくもあり、発見は新しいものばかり。


1年前の自分があったからこそ、
1年前の自分の感情・感性があったからこそ、
回り道こそすれ、今の自分に繋がってるんですよね。


そして1年前の自分に対して拘る必要なんて無くて、
今の自分を深く知る一つの手段としてあれば有効なだけで。
その当時どう思っていて、それが今こうなっていてと
あれこれ悔やんだりする必要が無いのも理解出来るようになって。


トレーナー資格には合格しましたが、
それは過去、主任に昇級した経験と被ります。
資格があろうが、肩書きが付こうが、
自分に課せられた事を全う出来なければ意味が無くって。
裏を返せば、仮に今バイト先で「トレーナーじゃないと居ても意味が無い」のなら、
そんなバイトは辞めても良いと思って。


仮に今トレーナーじゃなかろうが、私は私です。
今、その会社の主任じゃなくなっても、私はこの通り生きています。


自分が地に足付けて、自分が最大限活きるペースで、
自由に思う存分、思いっきり良さを出せられば、
私は私で居られるんです。
それを実践すれば良いのです。


今日の全国は荒れ模様。
奈良も雪がチラつきました。
そんな中、去年の春に良く通っていた平城京跡に行きました。


今日のブログにアップしているこの写真を見て、
「あ、俺凄く思いっきり良く楽しめてるな」と思いました。


右手に生駒山、左には朱雀門、中央に桜の木。
空は雪雲が通過して、雲の隙間からはご来光的な光が見え隠れ。
そんな状態を、欲張りすぎず、やりたいように
「えぇぇ~い、やっちゃえ~!!!」とシャッターを切った1枚。


今まで「これで良いかな? 絞り過ぎてないかな?」とか迷いながら、
家に帰ってPCで見て喜怒哀楽していた時よりも、何と清々しい事か。


この一枚は今の自分そのものな気がします。
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by keisukerudolf | 2010-01-14 01:16 | PENTAX K20D
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